2003 works


絵にまつわる様々な思いも、
綴ってみました。


出会い待ち
ballpen/woter color 2003.
祖父のアトリエで遊ぶのが好きだった。
油絵の具、絵筆がたくさんあって、どれも年季が入ってる。
キャンバスに描きかけの絵、額やスケッチブックが束とある。
そこで自分も描いてみた。勝手に紙や画材を使って怒られた。
祖父は絵の見方や描き方を、時々語ってくれた。
「きれいに描けばいいってもんじゃない。
心を動かすものでなければいけない」
お弟子さんのさして「この絵でまずいところは
何処かわかるか?」などという。
高校の入学祝いに祖父の描いた
バラの花の絵をねだってもらった。
それからゴンドラのパステル100色セット。
展覧会を見るとそこで買い求めたポストカードに,
感想を書いたりして祖父に送った。
祖父からは水彩で描いた絵はがきが帰ってきた。

私は祖父が大好きだった。祖父のようになりたいと思っていた。
今でも憧れの人は「奥野 博」という画家。

油絵の具のにおいを嗅ぐと、祖父を思い出してなつかしく思う。
父のアトリエは私の隠れ家だった。
子供の頃は商売をしていて
たまにしか絵を描いていない父よりも、
私の方がよく入り浸っていた。
もちろん勝手に紙や画材を拝借していた。
画集もいろいろ広げて楽しんだ。
父はもっぱら水彩で描いていた。
安野光雅風だった。
商売がうまくいかなくなって、事業をたたんだ時、
私は高2で弟は中3、これから受験だというのに、
残りの有り金はたいて、画材を持って
ヨーロッパを回る旅に出た父。
ローマやパリでスケッチして帰ってきた。
その時から、私と弟はちょっとひねくれた。
それからは絵を描いて、画家だと言っていた。
母が苦労して食べさせていた。
そんな父であった。


天使のつまみ食い
ballpen/woter color 2003


時々ブルー
ballpen/woter color 2003
祖父と父の遺した画材は私に回ってきた。
残る親族で絵を描くのは私だけであった。
父が亡くなって、専門教育を受けていなかったので、
ためらいがあったが、そんなことよりどんなことより、
「私は絵が描きたいんだ」と今までよりも強く思うようになった。

ところが妊娠していることがわかった。
子育ては思ったよりも時間が取られて大変だ。
絵を描く時間がとれない。場所さえ十分にとれない。
個展を重ねる友人なんかがうらやましくて、
たまらないこともあった。

だけど開き直るしかない。
私の好きな日本画家・秋野不矩は、
絵を描きながら5人育てた。
画業の良い所は、年をとっても続けられることだ。
三十代、四十代はまだまだ若造。
子供を生んで良かった。
私は三人、子を生んでいる。
一人は天使になってしまった。
思い出すと切なくなって泣ける。
天使になった子供と約束した。
かあちゃんがんばるからね。
子育てはたいへんだ。
それ以外にもいろいろある。
でも・・・・
タイヘンなコトは肥やしになる。
ふつう苦労ということを、
どこかでほくそえんでいる。
これで絵にも深みがでる、なんて。
これは業というものか?

絵を描いていることで、
気が変にならずにすんでいる、
ということもある、かもしれない。
と、言っておこう。


おとと
ballpen/woter color 2003


Untitled
ballpen/woter color 2003
こうして文章を書くと、
やっぱり絵を描く人間は、どこか変なのかもしれない。
と、思う。変な文章だから。
類は友を呼ぶので、
絵を描いたり何か創ったりする友人が多いが、
みんなちょっと変かもしれない。
でも、私は変だといわれることに慣れている。
「変わってるね」とか「普通じゃない」とか、
あんまり気にしても、どうにもならないコトだから、
それは誉めらていると勝手に変換して受け取っている。

変な私は、今日も真夜中に、
子供の寝息を聞きながら
寝室のすみっこで絵を描いている。
私の最上のしあわせな時間なのだ。
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